仕組みを作ってスケールできるように備えるということを重視していたな、という話を思い出した。
今年は、良い意味でも悪い意味でもgoogleのソフトウェアエンジニアリングに影響を受けた一年だった
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
個人のアウトプットとしても、チームの仕組みとしても、フローよりストックの成果を重視するようになった
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
良かったのは、いろんな技術記事や情報をスケールするか?という観点で見れるようになった。自分にとって見やすい記事の多くは"ある程度の規模"まで耐えられるサービスを作るときに有用な考察で、想像しやすいし取り組みやすいからその考えに飛びつきたくなる
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
"ある程度の規模"を超えた経験をした人は多くないし、これからも必要ないかもしれないけど、実際に超えたときにどうにもならない、みたいな状況は避ける責任がああるはずだから、一応立ち止まって俯瞰するようになった
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
良くなかったのは、フェーズが違うと求められるのものが違うのは当然で、"ある程度の規模"を超えたときのことをどこまで検討するべきかの軸を持たないまま考えていることが増えてしまった。バランスの力点をどこにするかが変わったけど、それを判断する経験が足りない
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
あと、フロー効率を重視しなくなったので一時的にすごく生産性が下がった。技術的にも、マネジメント的にも助走なしで瞬発力を出さなきゃいけない場面で出遅れてる気がする。多分今年は普通に評価悪そう。というか悪くてもしょうがない気がする
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
優秀な人が正しい決断をする、という仕組みはただのSPOFだよなと思うようになった
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
優秀な人を採用するという話も同様
> スケールするか?という観点で見れるようになった
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
具体例でいうと、必要なときに正しい判断をできる前提で作られたプロセスや設計を全く信用しなくなった。正しい判断をするための知識やスキルがない状況で機能しない
障害の振り返りで担当者が間違った判断をしたことを反省点として挙げて終わっていることが多くて、その分析精度だと組織として改善できないよなぁと思いながら見ている
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
他にも、必要だと思ったらテストコードを書くみたいなルールも、制限がなければ楽をしたがるのが普通だから、その判断を一個人に委ねるのは無責任だよなぁ、とか
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(無責任ってのは、自分がルールを作るときの話なので人のことを指しているわけではない)
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プロダクトの話を考えるときに開発にこだわらなくなったのもかなりアップデートかもしれない
別軸の話で、プロダクト開発全体で見たときに、開発プロセスは全体のプロセスのごく一部でしか無いなというのも思った。この感覚はプロダクトレッドグロースを読んだあたりからかな?
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
開発チームの何かを良くするときに開発生産性を上げる話になりがちだけど、別にそれ開発生産性の低さが原因じゃないでしょ?みたいに思うことが増えた
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
要求整理とか顧客コミュニケーションとか販売とか、そういう仕事もある中で、何かがあったときの原因を開発生産性に求めがち
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
問題を矮小化して解決したつもりになっても、あまり仕事と成果が結びつかないなぁというところが気になるようになった。今までは経験を積めればいいと思っていたけど、それが全体の成果につながっていると言えなければ価値を感じなくなった
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日
この辺は35歳の定年を意識し始めているからなのかも
— くどう (@derakudo) 2022年12月27日